私の話ですが、高校の頃、古文、漢文は問題なかったのですが、現代国語(夏目漱石、芥川龍之介など)の偏差値が良い時と悪い時で30くらい差がありました。
 
良い時というのは、著者の想いと私の想いが一致した時は(そう思ってますが..)、ほぼ満点(偏差値70超え)で、悪い時(偏差値40くらい)は著者の気持ちと一致しないと思ってました。
 
どうしたものかと思い、ひたすら、図書館で借りたり買ったりして、週に1,2冊の本を読むようにしてみました。
 
そうしてたら、悪い時ほどではなくなり、ある程度(?)、点数が安定してきました。
 
いまだに、本の好き/嫌いはありますが(もろ理系の頭です)、何冊読んだんだろうと、ふと思ってしまいます。
 
得意教科を伸ばすか、苦手教科を伸ばすかは誰しもが悩むところですが、私としては当時(昭和4x生まれです)は共通一次もあり5科目まんべんなく勉強が必要でしたが、今の時代は専門学校含め多様化していて、好きなことを深掘りするのもありではないかと思います。
 
大人になって仕事に就いて、嫌な仕事を続けるのは苦痛です。
できれば、お子様には好きな仕事に将来は就いてもらいたいと思います。
 
でも、嫌いだからと言って、一般教養は必要です。
四国ってどこ? とか。
 
 
 
参考文献で、
「学歴では仕事能力はわからない」デキる社員の3つの共通点というのがあって(ビジネスマンの話ですが)、
 ・声が大きく
 ・出勤時間が早く
 ・食事が早い
という、三つの共通点があるそうです。(これは異論もある人もいるかと思いますが)
 
1)リーダーシップを発揮して、人をぐいぐい引っ張っていく人は声が大きいことが多い。相手の目を見て、自信に満ちた声ではっきりと話す。
これに対して、声が小さい人は覇気が感じられず、頼りない傾向にある。
 
2)出勤時間が遅い人は、何事につけても仕事がルーズでミスも多くなりがちだ。逆に早く出勤する人には心にゆとりが生まれる。このゆとりが仕事の成否に大きく影響するのだ。
 
3)食事の早さは、何よりも早飯の人は仕事も早い傾向がある。(この文献では)
競争社会を生き抜くためには、物事を早く処理できるということが重要なポイントだ。さらに、食事が早いということは健康な証拠でもある。胃腸が丈夫でなければ早飯には耐えられない。
いくら頭がよくても、しょっちゅう病気で休まれては戦力にならない。
 
 
これまでの経験(著者の)からしても、またこれまで入社した社員たちのデータをとってみても、仕事の優秀さは、卒業した学校のブランドや、そこでの成績ともまったくといっていいほど相関関係がなかった。(ここは私の考えと一致しています)
 
・「パチンコなら誰にも負けない」男子大学生を採用したワケ
 新卒採用をするべく各大学に求人票を出し応募してきた中に、「パチンコなら誰にも負けない」という人がいた。
 聞けば大学の四年間、毎日パチンコに明け暮れ、月に十万円ほども稼いでいたそうだ。「パチンコについて作文を書いてこい」という宿題を出した。
 原稿用紙二十五枚にわたって彼が書いてきた作文を読んで、舌を巻いた。パチンコのどんな台を選ぶべきか、釘の角度はどのぐらいがよいか、どんなコンディションでどうパチンコに臨むべきか、実に細かく考察がなされている。
 大学の成績は惨憺たるものだったが、私は思い切って彼を採用することにした。
 はたして入社してから彼は大きな成果を収め、幹部として会社を支えてくれる人材に成長した。
 そして、レポートを書かせると群を抜いてうまい。
 彼を採用したのは、その鋭い観察分析力と、学費をパチンコで稼ぐという気概、それから作文の巧みなことからだったが、学業の成績よりも「これだけは人に負けない」という何かをもっている人のほうが、いい仕事をするというよい例ではないかと思う。
 
・これからはEQの高さが求められる
 これまでの日本社会では、どちらかといえば偏差値の高い高学歴の人材が重用されてきた。
 しかし、グローバル社会の到来とともに、その流れは根底から崩れ去っている。
 IQ(知能指数)値によって表される優秀さよりも、EQ(感情指数)値の高さが求められるようになってきたのだ。
 EQの高さとはどういうものか。人間としての総合的な知性と感性の豊かさ――すなわち、どんなに苦しくとも己を励まし、情熱・熱意・執念で困難に立ち向かう能力。
 他人の苦しみを深く読み取り、人心を束ねる能力。
 また、いかなる風雪にも耐え得る強い心ともいえる。
 もちろん、それらは一朝一夕に身につくものではない。しかし、筋肉と同様、鍛えれば鍛えるほど、どんどん伸ばせるのがEQだ。
 IQは、もって生まれたものが大部分だが、EQは努力次第でとてつもない差がついてくる。
 自分の進む方向をしっかりと見据えて努力を重ねれば、誰もが一番になれる時代が到来したのだ。
 また、AI(人工知能)時代の到来で、EQ値が高い人材への期待は、ますます高まっていくだろう。AIやロボットの登場で、人が行っている仕事の約半数は取って代わられるという。
 その場合、人間にしかできない仕事の特徴として挙げられているのが、創造性や共感性、それに非定型性だ。
 高度に複雑化した社会では、他者への共感や理解、説得や交渉といった、複雑で臨機応変な対応が求められる場面が増えてくる。
 これこそ、まさにEQが本領を発揮する分野といえる。
 AIだけで物事が決まっていくと、社会は砂漠の中で暮らしているような殺伐とした雰囲気に覆われる。
 そこに潤いを与えてくれるのが、EQの力だ。
 どのような社会にあっても、泣いたり、笑ったりする人間の喜怒哀楽をおろそかにしてはならない。
 
・人間としての器を大きくする、こんな方法
 それでは、EQを高めるために大切なこととは何だろうか。
 まず成功体験をもつことである。自ら計画した仕事をやりとげたとき、人は身が震えるほどの感動を味わう。そうした体験の積み重ねがEQを高めることにつながってくるのだ。
 そしてもう一つは、苦しみを乗り越えることである。いくら目標を達成しても、それが誰でもクリアできる低いハードルだったら、感動など湧いてこない。高いハードルを前に、逆境に苦しみながらもそれを乗り越えたときにこそ、深い喜びが味わえるものだ。
 そうした体験の積み重ねが、感性を磨くことにつながるのだ。
 EQとはまた「人間力」といい換えてもよい。 人間力を高めるとは、人間としての「器」を大きくしていくことでもある。必死に努力を重ねることで、人としての器は大きくなっていく。
 それまでがたとえば一升枡であったなら、それを二升枡、三升枡に変えていく。
 それにはもちろんのこと、ある程度の時間がかかる。そのためには、挫折をしたり、壁にぶち当たったりしながら、そこから学ぶことが必要だろう。たくさん本を読んで学ぶことも必要だろう。
 また多くの人に会うことも器を大きくすることにつながる。自分よりも一回りも二回りも大きい、三升枡の人に会って、自分と何が違うのかじっくり観察し、考察することが大きな学びになる。
 
以上、ご参考になれば幸いです。